2014年11月21日金曜日

デカちゅっちゅが家族になるまで〜8

デカが家族になるまでシリーズ、かなり間が空いてしまいました(汗)
話が震災中心になってるけど、ちゃんと仕上げなくちゃ〜
えっと、どこまで書いたかというと・・・
震災の翌日3月12日に、友人に助けられて夫とも合流できたところまで、 です。

そして、翌13日(日)、友人宅で朝を迎えました。
アパートの電気が復旧したので、帰宅することに。
恩人Y子さん、お米はたくさんあるからと持たせてくれました。
震災前もお世話になってばかりで、今回はこんなにも・・・感謝してもし足りません。

自宅に戻ってホッとしたのも束の間、断水の為、給水を受けることになりました。
役場の給水車には、ポリタンクや大きなペットボトル、ヤカンや鍋を持参する人が並びました。
幸いなことに、利根川を挟んで向かいの千葉県銚子市では水道の被害はごく一部だったようで、
橋の近くに住む私達はチェーン店の牛丼屋で食事をしたり、コインランドリーで洗濯もできました。
アパート近隣にはスポーツの宿泊施設がいくつもあり、風呂の無料開放をしているという情報も。
震災から一週間後、施設のお風呂に入れた時は嬉しくて、体も髪も何度か洗いました。
舞い上がったせいか混雑していたせいか、脱衣所に 下着を置き忘れてしまったんだわ〜
もちろん取りに行きましたよ。脱衣所の忘れ物BOXの中に紛れていました(苦笑)

あまり知られていませんが、神栖市北部では被害が大きく、液状化で道路はひどい状態、
電柱や家屋、お店も傾き、漁港では漁船が転覆、沿岸部の工業地帯も甚大な影響を受けました。
*神栖市HPの被災状況の写真をご覧ください。
津波により多数のコンテナが流れ込み、卵や野菜を買いに行っていた直売所は跡形も無く。
そこのおばさんはデカ達の里親探しにも協力的で、 チラシを貼ってくれていたのですが。
死者が出ていないので、ご無事のはず!

ちなみに、デカの兄弟「ちゅっちゅ=大河君」のお家は、茨城県の更に北の海岸近くだったので、
本当に心配でなりませんでした。
里親さんと連絡が取れず、ご実家まで電話をして無事を確認できたのです。
末っ子の「チビ手袋=ぴーと君」は、震災後すぐに東京の里親さんから無事の連絡がありました。
大河君もぴーと君も、里親さん不在の中、頑張ってお留守番していたそうです。
生まれて半年の仔猫ですから、怖かったに違いありませんよね。

話はこちらに戻りますが・・・
海が目の前の夫の職場も津波の被害に遭い、毎日片付け作業に追われていました。
建物の一階部分が浸水、食堂には車も流れてきたそうです。
ザッと片付けるだけでも一週間はかかったでしょうか。
それでも夫は疲れを見せず、帰宅するとハンドドリップのコーヒーをいれたりして。
神経が疲れていた私のことを気遣ってくれていたんだと思います。
また津波が来たら、いつでもデカと逃げられるようにと神経をピリピリさせてましたし、
夜はよく眠れず、眠ったら怖い夢を見たりで。

余震も恐ろしくて、海のそばなので地鳴りがするんです。
ゴゴゴーーという音が地面から聞こえて、それからドン!と揺れるんですよ。

こうして二週間が過ぎましたが、結局、デカと私は東京の実家に疎開することになりました。
水道の復旧がどうも長くかかりそうだということで。
実は、市の浄水場の液状化による被害で、震災から一ヶ月以上も断水が続いたのです。


またまた本文とは関係の無い写真、ちゃもんが久しぶりに登場♪

ちゃもんが見ているのは・・・

咥えて隣のワゴンに上がろうとした時に落としちゃったネズミさん












































ちゃも君、遊びに夢中なのはイイけど、オモチャもお水も大事にしようね。

6 件のコメント:

ハルパン さんのコメント...

被害の状況、拝見しました。
ひどかったんですね!
当時の報道では震源地辺りが中心でしたが
かなり広い範囲で大きな被害があったんですよね。
ふーこさんが書いてくださったので知ることが出来ました。
・・・
お水の中のネズミ・・・我が家でも何度かこんな哀れなネズミを見ることがありました。
落としたら拾えば良いのに、そのまんまなんですよねー(笑)

ふーこ さんのコメント...

東北とは比べものになりませんが、茨城県もかなりの被害があったんです。
30分後の第二震の震源が茨城県沖で、その影響が大きいのではないでしょうか。
千葉県も旭市で亡くなった方が十名以上ですものね。
旭市にもよく食べに遊びに行っていました。
車で通っていた飯岡灯台近くの民宿の、自宅のお庭にいたワンちゃんは、
犬小屋ごと津波に流されたそうです。

ハルちゃんもオモチャで遊ぶんですね〜
ちゃもんはお皿からネズミを捕ろうとしてましたが、上手くいかず・・・
その後、乾かして置いてみたのですが、見向きもしません(苦笑)

はしびろけろ さんのコメント...

ふーこさん、こんばんは

私も被災状況の写真、拝見しました。
どれも地震の恐ろしさを思い出してしまうほどの写真ですね。
とくに波崎漁港の4枚の写真が津波の恐ろしさを感じてしまいました。
亡くなった方はいらっしゃらなかったとはいえ震災当時の避難者は8615人もいらして
鹿島港などの港湾機能が止まったり被害もかなりあったのですね。

余震での地鳴りなんて体験した方だけにしかわからない恐怖だと思いました。
旦那さまの職場も海の近くで片づけしながらも余震や津波などに
気を張っていられたんでしょうね?

ちゃも君、ガン見!
出てくるのを待ってるのでしょうか?(*´ω`)

ふーこ さんのコメント...

はしびろけろさん、コメントありがとうございます。

これだけ大きな地震ですから、報道されていない地域でも多くの被害があったんですよね。
神栖市や銚子市は奇跡的に死者がゼロでしたが、津波はしっかりやってきたんです。
夫も職場にラジオを持参して、地震情報を聞きながら作業をしていました。
一度テレビで大津波の誤報があった時には、夫は職場近くの高台に避難、
私はデカとアパート隣の病院屋上へ上がらせてもらったり・・・
しばらくは神経を遣う日々でした。

はしびろけろさんは、被災はなくご無事でいらしたのでしょうか?

はしびろけろ さんのコメント...

ふーこさん、こんにちは

やはり津波の恐ろしさは映像だけではわからないものですよね
津波警報があればすぐ避難しなければならないし
気が休まらない日々は本当に大変でしたね...

家の方は千葉市とはいえ八千代や習志野に近いので大丈夫でした。
その日頭痛の為寝込んでいたので最初は何が起きたのかわからず
「えっ?夢??めまい?」とぼんやりしていて...
花瓶が倒れそうになったのを見て慌てて起き上がりました。

断水は大変でしたね。
母の友人が潮来市の液状化の地区でしたのでライフライン全てが止まって
本当に大変だったと聞きました。
当たり前だと思う水を大切にしなくていけないな...反省...

ふーこ さんのコメント...

はしびろけろさん、こんばんは。

津波・・・自分もそうなんですが、親にもかなりの心配をかけてしまいました。
賃貸物件が少ない地域で選択肢が限られていたとは言え、安易に海の近くの部屋を借りてしまったことを反省です。

そうですか、体調が悪い時に、それも辛かったことでしょう・・・
でもご無事で良かったです!
あんなに大きな揺れは経験が無くて、みんな何??って思いましたよね。
咄嗟の判断が大事と言うけれど、実際は難しいなぁ、と実感。

潮来の液状化はひどかった! 流石に報道もされてましたね。
道路から見ましたが、全体が歪んでいるような、ちぐはぐした風景で。
そんな中、「道の駅いたこ」が想像以上に早く営業を再開していて、ちょっと感動しました。