2014年10月28日火曜日

ソチオのお家はどこにある?

保護猫ソチオは元気です。
里親探しも頑張らないといけません(汗)
募集サイトも更新しましたので、画面右の写真をクリックしてご覧ください!

完璧な三白眼であなたのハートをキャッチ♪





















水を飲み終わったソチオが、次に何をするか決めかねて固まっていました。
そこで、寝転がっている夫の背中にソチオを乗っけてみました。

なんか親子ってカンジ(笑)

























普通、嫌がりますよね?ネコって・・・
ソチオもすぐに飛び降りるかと思ったのですが、なんの抵抗も無く落ち着いちゃいました〜



























本当に素直な子。
外では一匹狼で喧嘩をたくさんしてきたみたいけど、寂しがり屋で純情なオトコなんです。
ずっとのお家を探さなくちゃね。

2014年10月24日金曜日

デカちゅっちゅが家族になるまで〜7

3月12日(土)、ほとんど眠れないまま一夜が明けました。
デカはゴハンを食べてトイレもして、有難い事に元気です。

明るくなって改めて、アパートの状況をチェックしました。
建ってから3年のせいか、見た感じでは影響は特にないようです。
部屋の中は冷蔵庫の位置が少しズレた位で、壊れた物もありませんでした。
ライフラインは電気と水道がストップ、ガスは通っていました。
食料はそこそこ冷蔵庫に入っているし、ペットボトルのお茶やお菓子も在庫アリでOK。
毎晩お風呂でリハビリをしていたおかげで、水が張ってあったのもラッキーでした。
しばらくトイレは何とかなる、大の時だけ流そう。

ただ、こういう時に限って、携帯電話の電池がほとんど無く・・・
少し歩いた所に公衆電話があるので東京の実家などに連絡をしたかったのですが、
またいつ地震が来るかと思うとデカが心配で部屋を離れることができません。
アパートの隣の棟は電気が通っているようなので、充電をお願いしてみようと訪ねました。
ある 部屋の若いカップルに、快く充電を引き受けてもらえました。
東京方面は多分大丈夫だということ、飲み物はスーパーでまだ売っているから買っておいた方が
いいかも、と教えてくれたりも。
充電待ちの間に朝刊が配達されて(朝日新聞をとっていたのに、その日は毎日新聞 )、
東北地方の甚大な被害を改めて知りました。

充電完了とともに、多くのメールを受信。
一番は熊本に住んでいた友達から地震直後に、次は普段音沙汰のない兄が職場からの送信でビックリ、
三鷹の姉からは「高い所へ逃げて!」と一言。
もちろん夫からも。
成田空港では降りられず、羽田空港に緊急着陸して待機させられていると書いてあります 。
私が役場から送ったメールも届いているようで、「できるだけ早く駆け付けるから」とも。
それから、私の陶芸の先生であり、茨城での数少ない友人の一人でもある同年代のY子さんは、
夫がアメリカ出張中であることを知っていた為、私のことをとても心配してくれたみたいでした。
それらのメールには出来る限り簡潔に返信をしましたが、すぐには届かなかったようです。

お昼が過ぎ、これからどうしようかと考えました。
夫はいつ戻れるか分からないし、アパートの住人も他へ避難する中、もう一晩過ごすのは不安だし。
デカのゴハンとトイレが済んだら、日が暮れる前に歩いてまた役場に避難しよう、
と決めて荷物の用意をしていると・・・

Y子さんが小学生の子供二人と一緒に来てくれたのです!!
私が役場に避難していると夫から聞き、役場に行って捜したけれど見つからなかったから、って。
辺りの道路は裂けて盛り上がったり曲がったり、信号も止まったまま、
普段は大きなバンを乗り回すY子さんも、流石に運転は怖くて足が震えてしまったと。
それでも辿り着けたのは、息子K君の「アパートまで行ってみようよ!」という一言があったから
だそうです。
玄関の扉を開けて、目の前の3人を見た時の自分の気持ち、言葉では言い表せません。
「私のこと、助けに来てくれたんだ・・・」

Y子さんの家では電気が復旧し、水もまだ出るとのことです。
デカと共に避難させてもらい、夫の帰りを待つことにしました。
お米をたくさん炊いて彼女が作ってくれたオニギリが、なんと心に染みたことか〜

日が暮れた頃に夫が到着。
羽田空港から成田まで動いていた数少ない電車に乗り、成田空港近くの駐車場に停めておいた車で。
道路もひどい状態で、よく無事に戻ってこられたなぁ。
その後、Y子さんのご主人も出張先から帰宅され、家族全員揃っての夕食となりました。
前日のデカとの心細い夜とは正反対の、明るく温かな食卓で、信じられない気分でした。

その晩は一階リビングに布団を敷き詰め、まるで合宿状態です。
ウトウトしても初めは余震で目が覚めましたが、Y子さん家族4人と夫にデカ、
みんな一緒だと思うと怖さは半減、疲れがドッと出たのか、深い眠りに落ちていきました・・・


最後に一枚、全く関係の無い写真(笑)
ソチオ・デラックス



2014年10月15日水曜日

デカちゅっちゅが家族になるまで〜6

なかなか更新できませんでした。
体調が今ひとつだったこともあるのですが・・・震災のことを振り返ると筆が進まず。
ダメだなぁ〜自分(苦笑)

さて、言い訳はこの位にして、続きです。

横浜のご夫婦とデカのお見合いの後〜
私は長かったリハビリ通院を2月末で終え、夫は3月に入ってすぐ仕事でアメリカへ。
デカと私、二人でしばらく留守番です。
思い切りベタベタして、未練を残さずに里親候補の方へデカをお渡ししようと考えていました。

留守番の間は平和な毎日でした
お日様に当たって、ひっくり返ってます





















デカらしい表情(画像はよくないけど)




















そして、2011年3月11日、金曜日。
その日は夫がアメリカ出張から帰国する予定でした。
午後3時頃に成田到着の便だったと思います。
「もしかしたら飛行機が順調で早く着いて、おじさん(夫)、もう空港にいるかもね〜」などと、
2時位にデカに話しかけたような記憶があります。

アパートの二階、日光が差し込んでポカポカの部屋で、デカと私は遊んでいました。
突然、大きな揺れに襲われました。
揺れがおさまる頃にデカをケージに入れ、テレビをつけましたが何も映りません。
ベランダの窓を開けると、階下の住民が外に出ています。
「大丈夫でしたか?」と声を掛け合っていると、3mの津波警報が発令されたと防災無線放送が。
お付き合いのあった奥さんとそのお母さんに、「津波が来たら二階に来てくださいね」と言いました。
そう言いながらも、まだ津波の実感は湧いていなかったと思います。

ですが、次の第二震で「10m以上の大津波警報」と無線で聞いた時には焦りました。
ペットボトルに水を入れ、ドライフードやペットシーツを用意し、キャリーケースにデカを入れました。

一階の奥さんとお母さんが車で避難するというので、私も同乗させてもらうことに。
デカも一緒でビックリされましたが、事情を話すと「もちろん置いて行けないわよねっ」
と理解してくださいました。

ただ、避難するといっても、茨城県神栖市は太平洋と利根川に挟まれた細長く平らな地形。
鹿島灘に面し、 砂地のため高い建物がほとんどありません。
どこが安全なのか悩みましたが、取りあえず役場に行けば情報があるだろうということに。

車で3分ほどの役場には、地域の住民が集まっていました。
ロビーには大画面のテレビが設置されていて、仙台の津波の様子が映っています。
そばに中年の消防士がいたので、「私達、どこへ逃げたらいいんですか?」と聞いてみたところ、
「ここでいいでしょう」との返事に、「逃げる所が無いんだ・・・」とゾッとしました。

しばらくして外は暗くなり、役場の一階と二階に人が溢れてきました。
余震の度に建物の外へ避難しましたが、人々はパニックにはならず、なぜか呑気な感じ。
そんな中で、金沢の友人からの電話が繋がり、私と猫の無事を伝えられました。
何度も何度も電話をかけてくれたそうです。

夜になると自宅へ帰る人が出てきました。
役場の廊下の隅で、デカに水やカリカリをあげてみましたが口をつけてくれず、心配でなりません。
トイレもしたいだろうに・・・
それと、慌てて携帯電話の充電器も持ってこなかった為、電池が減って不安でした。
一緒に避難した奥さんがアパートへ戻るというので、私も乗せてもらいました。

アパートは停電のまま、暗闇と寒さの中で一晩を過ごしました。
デカを入れたケージの横にダイニングテーブルをつけて、その下で毛布にくるまっていました。
余震で揺れる度に、「大丈夫だよ、ここにいるからね」とデカに言い聞かせながら。
音も無く静かな夜でしたが、目の前の利根川からのサーチライトのようなものの点滅で、
辺り一帯がぐるっと照らされて不気味な感じでした。
あの照明は、海上保安庁の巡視艇からだったのでしょうか。

何がどうなっているのかも分からず、とにかく早く夜が明けてほしいと願うばかりでした・・・

震災の前日に撮った写真

2014年10月7日火曜日

「ペットショップにいくまえに展」に行ってきました

先週土曜日、「ペットショップにいくまえに展」へ猫友さん達と行ってきました。

ギャラリーではたくさんの作家の作品が展示・販売されています。
小さな可愛い木箱・・・何かと思ったら、なんと「猫のヒゲ入れ」でした。
猫飼いの皆さん、髭ってどうしてます?
実は私、抜け落ちた猫の髭が捨てられない女なんですよ〜
2匹分だから、小皿に結構溜まってるし(笑)
猫友さんは一本だけお財布の中に入れているんだそう。
猫の髭って金運が上がるんだとか。

そんな話をしながら、それぞれ真剣に物色。
お店に入った時は空いていたのですが、ゆっくり観ているうちに人が増えて・・・
会計は順番待ちでした!

今回の戦利品、というほど買っていませんが、ご紹介。

密かな話題作?! 「てんまると家族絵日記」
売上の一部が動物保護活動のための寄付金となるそうです。
右のポストカードはヒグチユウコさん作・ねこのパン屋てんまる




















下のカードはヒグチユウコさん作・のらいぬとニャンコ


























「ペットショップにいくまえに」&「ネコの種類のおはなし」は複製・配布自由。
クリックすると大きくなります



















その後、みんなでお茶したお店は偶然見つけたのですが、居心地が良くて大当たり♪
こじんまりと落ち着いた雰囲気で、コーヒーも美味しかった〜
笑顔の可愛らしい女性店主?にピッタリの可愛らしいショップカード。

















猫と鳥が好きなおねえさんが飼っていた兄弟猫さんは、2匹とも23年まで生きたんですって!
今はインコを飼っていて、流石に猫と鳥は同時に飼えないんです、とおっしゃってました。

西荻窪駅からも近いですし、お勧めのカフェです。

2014年10月4日土曜日

デカちゅっちゅが家族になるまで〜5

2011年1月初旬のちゅっちゅの譲渡後、ひとりぼっちになったデカちゅっちゅは寂しがり、
私達にベッタリになりました。

相変わらず私の指をチュッチュッと吸い、それが何とも可愛くて。
いっそペット可物件に引越してデカを飼ってしまおうか・・・なんて気持ちもちらほら。
でも、「引越の多い自分達は動物を飼わない方がいい、里親を探すことが猫にとって一番の幸せだ」
という夫の考えは変わりません。
最初に二人で決めたことですし、私も反対はできませんでした。

可愛い寝顔を見ながら、私は複雑な気持ち・・・


























2月になり、里親募集サイトに再度デカを登録しました。
すると、横浜市のHさんご夫婦から問い合わせが入り、2月下旬にお見合いが決まりました。
半年ほど前に17年間一緒に暮らした猫が亡くなり、それからずっと募集サイトを見ていたそうです。
デカちゅっちゅの姿と名前が印象的で、応募してくださったとのこと。

募集サイトに掲載した写真:デカくんくん(父撮影)


























デカと遊んでもらった後、4人で話し合う中で、年上のHさんのご主人は、
「デカちゃんはお二人のことを親だと思っているに違いないし、お二人もデカちゃんのことを
本当に可愛く思っているのがわかります」
「応募した自分が言うことではないのですが、デカちゃんはお二人の家族になるべきだと思います」
とおっしゃいました。
これまでの里親希望者とは違って、保護猫と保護主の気持ちを何よりも大事に考えてくださる方でした。

こういう方が里親ならこのコは幸せになれるに違いない、と感じましたし、Hさんからも
「お二人の考えが変わらないのなら、デカちゃんを家族として迎えたい」とのお返事をいただきました。

その日は細かなことを話す時間が足りず、3月にHさん宅に伺って、もう一度お話することに。
少し寂しい気持ちはありましたが、ようやくデカの里親が決まるという安堵感と共に
穏やかな日々を過ごしました。

そう、東日本大震災のあったあの日、3月11日までは・・・

2014年10月2日木曜日

デカちゅっちゅが家族になるまで〜4

 10月に入ると仔猫たちの体調も安定し、体重も増えて300g〜400gに。
ドライフードをふやかした離乳食にすんなり移行。
トイレトレーニングも済んでいたので、一気に世話が楽になりました。

休む間もなく里親募集をスタート。
実は、保護前から決まっていた私の膝の手術と入院が10月下旬に迫っていたのです。

自分達が住む地域で里親さんを見つけられたらいい、と単純に考えていました。
A4サイズのポスターと両面印刷のカードを用意し、動物病院、ペットショップ、スーパーの他、
行きつけのカフェや雑貨店、卵の直売所、スイミングスクール、マルシェなどのイベントでも配布。
お世話になっていた陶芸教室にも置いてもらいました。

二人で作ったポスター&カード(クリックすると大きくなります)




















間もなく問い合わせが入りだしましたが、世の中には様々な人がいるものですね。
「ネコヨコセ!」という外国人は問題外、
「本当にタダで仔猫がもらえるのか?」と疑う人、
猫の飼育方について細々と確認すると怒りだす人、
とにかく猫を見せてくれと言うので都合をやりくりしたのに待ち合わせ場所に来ない人・・・

多かったのが、急いで仔猫を探している人、でした。
他でも応募しているらしく、こちらがメールで返事をすると「もう決まりました」との応え。
また、地域性でしょうか、完全室内飼いや不妊手術についても理解が得られないことばかりで。

そうこうする間に、私の手術の日が来てしまいました。

足の手術は無事に終わり、初めての入院生活も案外楽しく過ごせました。
その間、夫は仕事と仔猫の世話、私の見舞い、里親問い合わせの対応と大変だったと思います。
文句一つ言わず、仔猫たちの様子を毎日報告してくれて、私は安心して治療に専念できました。

仔猫たちの世話があるので早めに退院させてもらい、通院でリハビリをすることに。
リハビリに苦しむ私とは反対に、仔猫たちの恐ろしく元気なこと!
簡易ギブスが気に入ったようで、猫がよじ登る・・・ま、このコたちが元気ならいいや。

左から、デカちゅっちゅ・ちゅっちゅ・チビ手袋





















里親探しは行き詰まり、藁にもすがる思いでつくばの動物愛護団体にメールで相談をしたところ、
担当のKさんが温かく励ましてくださり、丁寧な手ほどきを受けることができました。
そして、それまで敬遠していた巨大募集サイト「いつでも里親募集中」に掲載してみることに。
里親詐欺などの怖い話を聞いていたので、大丈夫かなぁ、と思いながら。
実際、ちょっと怪しい人からの問い合わせがあり、不安に感じることもありました。
結局はお見合いの前日にドタキャンされ、私はホッとしたのですが。

その後はトントン拍子で、12月末に「チビ手袋」は東京のMさん宅で先住猫さんの弟として迎えられ、
翌年1月には「ちゅっちゅ」が茨城のKさん宅の家族となりました。
どちらの里親さんも遠方から会いに来てくださり、仔猫たちを迎える準備を整えていただいてから
改めてお届けしました。
問い合わせから譲渡まで一ヶ月以上かかりましたが、その間にワクチン接種やウィルス検査をしたり、
こちらも準備ができて良かったです。

小さくて愛らしいチビ手袋は「ぴーと君」に

























キリッとハンサムなちゅっちゅは「大河君」に


























人懐っこく一番早く里親が決まると思っていた「デカちゅっちゅ」が、残されてしまいました・・・

デカちゅっちゅさん、寝ている場合じゃありませんよ〜